東京地方裁判所 昭和32年(ワ)2547号 判決 1958年3月27日
原告 鈴木政雄
被告 三陽興産株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
本件につき当裁判所が昭和三十二年四月十六日附でした強制執行停止決定を取り消す。
前項に限り仮に執行することができる。
事実
原告訴訟代理人は、「東京地方裁判所昭和三十年(ケ)第二九八号不動産競売事件において同裁判所が昭和三十一年七月十日附でした同裁判所同年(ヲ)第一八五一号事件の不動産引渡命令に基いて、同年同月二十七日被告が訴外細貝馨に対してした東京都大田区市野倉町四十五番地所在、家屋番号同町四十五番(登記簿上は同番の九)、木造瓦亜鉛メツキ鋼板交葺平家建居宅一棟建坪十一坪一合八勺の引渡執行は、原告のため許さない。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、
一、請求の原因として、
(一) 原告は、昭和二十八年五月十日訴外細貝馨からその所有にかかる請求の趣旨第一項に掲げる建物(以下本件建物という。)を賃料一ケ月金千五百円毎月二十五日払、期間十年の定で賃借したところ、その後昭和三十年二月一日右両者間の合意によつて、賃料を一ケ月金二千円毎月末日払、期間を向う八年間とし、この期間中における賃料の内金十五万円を前払することに契約を改訂し、原告は、右賃料の前払をすませた上、同年同月十二日右改訂にかかる契約に基く賃借権の設定登記を経由した。
(二) 被告は、この間訴外細貝馨に対して、(イ)昭和二十九年四月十七日本件建物に順位第一番の抵当権を設定の上、金三十万円を弁済期同年五月十五日、利息月一割毎月十五日払、期限後の損害金日歩金三十銭の定で、(ロ)昭和二十九年十月五日本件建物に順位第二審の抵当権を設定の上金十万円を弁済期同年十一月五日、利息年一割八分弁済期と同時払、期限後の損害金日歩金九銭八厘六毛の定で貸し付け、昭和二十九年四月十四日に前示第一審抵当権の設定登記を、同年十月十二日に前示第二番抵当権の設定登記を経由した。
(三) ところが被告は、訴外細貝馨が前記抵当債務の弁済を怠つたので、前掲第二番抵当権を実行するため本件建物に対する競売の申立(東京地方裁判所昭和三十年(ケ)第二九八号)をし、昭和三十一年六月二十一日自らこれを競落して同年十一月二十二日右競落による所有権取得登記が経由されたのであるが、その間同年七月十日附で右裁判所が訴外細貝馨に対してした本件建物の引渡命令(同裁判所昭和三十一年(ヲ)第一八五一号)に基いて同年同月二十七日右引渡命令の執行が開始(原告がその日時を昭和三十二年四月五日であると、本件第三回口頭弁論期日において釈明したのは、誤解によるものと解する。)されたのである。
(四) しかしながら原告は、既に述べたところによつて明らかであるとおり、被告が本件建物に訴外細貝馨から順位第一番および第二番の抵当権の設定を受け、かつ、その第二番抵当権の実行手続において本件建物を競落してその所有権を取得する以前に本件建物を訴外細貝馨から賃借してその引渡を受けていたのであるから、本件建物の賃借権をもつて被告に対抗し得べく、従つて前記不動産引渡命令に基く執行は、原告のため許されないものである。
(五) そこで原告は、被告に対し右執行の排除を請求する。
と述べ、
二、被告の抗弁に対し、
(一) 原告が本件建物を目的として訴外細貝馨と締結した賃貸借契約が通謀による虚偽のものであることは否認する。
(二) 原告が被告から被告主張の日時に被告の主張するような催告および条件附解除の意思表示を受領したことは認めるけれども、前叙のとおり原告は、本件建物を訴外細貝馨から賃借していた当時に期間中の賃料の内金十五万円を前払していたのであつて被告が原告に対して催告した賃料は右前払にかかる賃料の中に含まれるものであるから、原告において被告に対し被告の主張するような賃料債務の履行を怠つた事実はなく、従つて被告のした賃貸借契約解除の意思表示は無効である。
と述べ、なお、被告の自白の撤回には異議がある。と述べ、
三、証拠として、
甲第一号証から第三号証までを提出し、証人細貝まさの証言を援用し、乙号各証の成立は認めると答えた。
被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、
一、答弁として、
(一) 本件建物がもと訴外細貝馨の所有に属したことは認めるが、原告がその主張の日時同人から本件建物を原告主張のような約旨で賃借したことおよびその後原告主張の日時原告主張のような賃貸借契約の改訂がなされたことは知らない。原告がその主張のごとく訴外細貝馨に賃料の前払をしたことは否認する。本件建物に原告のため原告主張のような賃借権の設定登記が経由されたことは認める。
(二) 被告と訴外細貝馨との間に原告主張の各日時その主張のような消費貸借契約および抵当権設定契約が締結されたこと、被告のため本件建物に原告の主張するごとく順位第一番および第二番の抵当権設定登記が経由されたことは認める。
(三) 被告が原告の主張するような経過によつて本件建物の所有権を取得し、その登記が経由されたことおよび原告主張のような不動産引渡命令が発せられ、被告がその執行を開始したことは認める。但し競落の日時は、昭和三十一年六月二日である。
(四) 原告がその主張にかかる本件建物の賃借権をもつて被告に対抗し得ることは争う。
と述べ、
二、抗弁として、
(一) 原告は、本件建物のうち四畳半の間のみを使用収益していたのであるが、仮に原告と訴外細貝馨との間に本件建物全部を目的とする賃貸借契約が締結されたことがあるとすれば、その契約は両者が相通じて締結した虚偽のものである。原告が訴外細貝馨に本件建物の賃料として前払したと主張する金十五万円は、原告が訴外細貝馨に消費貸借契約により貸し付けたものである。
(二) 仮に原告と訴外細貝馨との間に原告の主張するごとく本件建物を目的とする賃貸借契約の締結された事実があり、被告が訴外細貝馨から本件建物の所有権を取得したことによつて右賃貸借契約における賃貸人の権利義務を承継したものとされるとしても、かくして原告と被告との間に存続せしめられることになつた本件建物についての賃貸借契約は、原告の賃料債務不履行を理由として既に解除されたのである。すなわち原告は、被告が本件建物を競落した日の翌日である昭和三十一年六月三日以降被告に対し本件建物の賃料を支払わなかつたので、被告は、昭和三十二年六月十四日書留内容証明郵便をもつて原告に対し、昭和三十一年六月三日から昭和三十二年六月十四日までの一ケ月金二千円の割合による約定賃料を右書面到達の日から二日以内に支払うべく、もしその支払を怠つたときには賃貸借契約は当然解除されるべき旨の催告および条件附解除の意思表示を発したところ、右は翌十五日原告に到達した。しかるに原告は右催告期間を徒過したので、前記賃貸借契約は同年同月十七日の経過とともに解除されるに至つたのである。
叙上(一)または(二)のいずれの事由によるにせよ、原告は、被告に対して本件建物につき賃借権を有することを主張することはできないのである。
と述べ、なお、被告は、本件第三回口頭弁論期日において、前出答弁の項で争つている原告主張事実についても自白をしたのであるが、その自白は、真実に反しかつ錯誤に基いたものであるからこれを撤回する。と述べ、
三、証拠として、
乙第一号証の一、二および第二号証を提出し、甲第二号証の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立は不知と答えた。
理由
一、訴外細貝馨よりその所有にかかる本件建物に原告の主張するとおり順位第一番および第二番の抵当権の設定を受けた被告から第二番抵当権の実行のために申し立てられた東京地方裁判所昭和三十年(ケ)第二九八号不動産競売事件において、同裁判所が昭和三十一年七月十日附で発した同裁判所同年(ヲ)第一八五一号事件の不動産引渡命令により訴外細貝馨に対し本件建物の引渡が命ぜられ、同年同月二十七日右命令の執行が開始されたことは、当事者間に争いがない。不動産の任意競売における競落人が競落代金を完済して当該不動産の所有権を取得した後においては、競落人は、競売法第三十二条第二項によつて準用される民事訴訟法第六百八十七条第三項の規定に基いて、当該不動産を自己に対して引き渡すべきことを債務者に対して命ずる旨の引渡命令を求めることができる(大審院昭和四年(ク)第一〇一〇号、同年十一月二十一日決定、民集八巻八〇九頁)のであつて、本件における前記不動産引渡命令もさような趣旨で発せられたものと解されるのである。
二、それでは競売法による不動産競売手続において行われる引渡命令に基く執行に対して、果して第三者異議の訴を提起することが許されるであろうか。
(一) この問題を、民事訴訟法第六百八十七条第三項の規定による不動産引渡命令に関して考究してみる。改めていうまでもないが、第三者異議の訴は、強制執行の目的物に対して所有権その他目的物の譲渡もしくは引渡を妨げる権利を有する第三者がその権利を主張して当該強制執行の排除を訴求する訴訟であるから、不動産引渡命令に基く執行に対してこの訴訟を提起することができるといい得るためには、不動産引渡命令が債務名義たる性質をもつものであることが論証されなければならないのである。ところで民事訴訟法は、その第六編強制執行の第一章総則において各種の債務名義を規定しているのであるが、不動産引渡命令が債務名義にあたるものとすれば、同法第五百五十九条第一号に掲げる裁判以外には考えられない。さてそこにいう抗告をもつてのみ不服を申し立てることができる裁判とは、その内容が執行に適するものであること、換言すれば特定の給付義務を宣言するものであることを要するとともに、これに対する不服申立の方法が抗告だけに限定されているものを指すのである。不動産引渡命令が特定の不動産の引渡義務を宣言することを内容とする裁判であることは、疑いの余地のないところであるが、これに対して如何なる方法によつて不服の申立をすべきかということについては、種々見解のわかれているところである。この点に関しては、従来左記の四説が主張されている。すなわち、
(イ) 第一の説は、異議説とも呼ばれるべきもので、不服の申立は、民事訴訟法第五百四十四条の異議にのみよるべく、その異議の裁判に対して不服であるときに始めて即時抗告を申し立てることができるものと説くのである。その理由とするところは、不動産引渡命令は、裁判所が国家権力による強制執行を実現するためにする執行処分であつて、具体的事実に法律を適用して権利義務の存否を判断することを使命とする裁判ではない、たとえその主体および形式に着眼して裁判というも、それは単に形式的附随的たるに過ぎず、その本質はあくまで叙上のごときものであることは否定できず、結局においてはいわゆる強制執行の方法にほかならないものであるところ、民事訴訟法第五百四十四条は、強制執行の方法に関する不服申立の方法を異議に制限したものと解すべきであつて、強制執行の手続において口頭弁論を経ないですることができる裁判に対して即時抗告をすることを認めた民事訴訟法第五百五十八条の規定は、不動産引渡命令については適用されるべきものでないというにある。
(ロ) 第二の説は、抗告説ともいうべきもので、異議説とは正反対に、そもそも不動産引渡命令に止らず執行裁判所の執行処分はすべて決定をもつてなされる建前であるところ、およそ裁判には本案の裁判を頂点として各種の態様と段階が存し、これらすべての裁判において裁判の本質たる判断作用の占める比重が一様であるとはいい難く、要は程度の問題であつて、いやしくも執行裁判所が裁判の方式をもつてする決定である以上、その本質が執行処分でありまたは裁判たるの性質が形式的附随的なものであるにしても、なおこれをもつて民事訴訟法第五百五十八条にいわゆる裁判というに妨げはないのであり、しかも同法第五百四十四条は、その規定の位置からみても、はたまた民事訴訟法が一の司法機関の行為を重ねて当該同一機関をして審査せしめるごときことを極力抑制しようとしている制度全体の構造にかんがみても、もつぱら執行吏の執行実施を監督する方法として異議を認めたものであり、執行裁判所の執行処分に対して重ねて同一裁判所の判断を求めるために異議を許すことは、その必要もなければ、前述した民事訴訟制度全般の構造にもそわないものであると主張するのである。
(ハ) 第三の説は、選択説とも称せられるもので、民事訴訟法第五百四十四条が異議の対象から強制執行に関する裁判を除外しておらないと同時に、同法第五百五十八条にいわゆる裁判とは強制執行の手続におけるすべての裁判を含むものであることを根拠として、不服申立の方法を異議によるか即時抗告によるかは、申立人が自由に選択することができるものであるというのである。
(ニ) 最後の説は、異議説と抗告説との折衷説であつて、裁判前に不服申立人が審尋されたかどうかによつて場合を別け、審尋がなされなかつたときには異議説の説くところと同一の方法によるべく、審尋のあつたときには抗告説のいうごとく直ちに即時抗告をすべきものとの見解をとるのである。
そこで以下において、異議説、選択説および折衷説のいずれにも賛成し難いことを説明して、抗告説をもつて正当とすべきことの理由とする。
(イ) 異議説が不動産引渡命令をもつて執行裁判所の執行処分とみるべきものである以上、強制執行の手続における裁判に対する不服申立の方法として即時抗告を認めた民事訴訟法第五百五十八条の規定をこれに適用すべきものでないとする所論の排斥されるべきことは、抗告説がこれを反駁するとおりであり、さらに附言すれば、異議説の説くごとく民事訴訟法第五百四十四条が執行方法に関する不服申立方法についての制限規定であり、仮に裁判の形式によつたとはいえその本質が執行方法たるべきものに対しては異議の申立のみが許され、即時抗告をなし得ないということならば、異議の裁判に対してもひとしく即時抗告は許されるべきものではなく、この点においても異議説は論理の矛盾を犯しているものと評さざるを得ないのである
(ロ) 選択説は、一の裁判に対して、同一裁判所と上級裁判所とに選択的に不服申立の途を開くものであるが、かかる不服申立方法の競合は、民事訴訟法の認める上訴制度の精神に反するものでありしかも一方については不服申立斯間の定がないのに、他方にはその定があることも不合理である。何となればこの説によるときは、期間の徒過によつて即時抗告権が消滅した場合においても、異議の申立については期間の定がないので、さらにその申立をなし得べく、これにより既に失われた即時抗告権を容易に回復し得るにもひとしい結果を来たすことになるからである。
(ハ) 折衷説は、実際上の便宜に適するその合目的性の故に相当広く行われたものであつて、同じ見解を示した大審院の判例も存する(昭和六年(ク)第二六八号、同年三月二十五日決定、民集十巻八八頁)のであるが、単に審尋を経たかどうかという偶然の事情のみによつて不服申立の方法を二、三にする点において非合理のそしりを免れず、その理論的基礎も薄弱であるばかりでなく、そもそも審尋については、被審尋人に書面または口頭による陳述の機会を与えさえすれば、現実にその機会が利用されなかつたとしても、なお審尋は行われたというを妨げないのであつて、かかる場合と始めから審尋がなされなかつた場合との差異は、実質的な見方からすれば皆無にもひとしいのであるから、不服申立方法の区別の標準を審尋の有無に求めようとするのは、はなはだ根拠に乏しい議論であるといわざるを得ないのである。
叙上によつて抗告説の正当であるゆえんが明らにされた訳である。してみると不動産引渡命令は、民事訴訟法第五百五十九条第一号にいうところの抗告をもつてのみ不服を申し立てることのできる裁判にあたるものというべきであり、従つてこれに基く執行に対して第三者異議の訴を提起し得ることは、多言の要のないところである。
(ニ) そうだとすると競売法第三十二条第二項によつて不動産の任意競売に準用される民事訴訟法第六百八十七条第三項の規定によつて競売法による不動産の競売手続において行われる引渡命令に基く執行に対しも第三者異議の訴を提起することが許されるべきである。
三、そこで進んで本件において原告が異議の原因となるべき権利を有するかどうかについて審究する。
(一) 原告が昭和二十八年五月十日訴外細貝馨からその所有にかかる本件建物(原告は、その家屋番号を所在地と同町四十五番と主張しているが、成立に争いのない甲第二号証によると、登記簿上の家屋番号は同町四十五番の九となつている。なお、成立に争いのない乙第二号証によれば、本件においてその執行の排除が請求されている不動産引渡命令では、本件建物の家屋番号は原告主張のとおりに表示されていることがうかがわれる。)を賃料一ケ月金千五百円毎月二十五日払、期間十年の定で賃借したところ、その後昭和三十年二月一日右両者間の合意によつて賃料を一ケ月金二千円毎月末日払、期間を向う八年間、この期間中における賃料の内金十五万円を前払することに契約を改訂し、原告が右賃料の前払をすませた上同年同月十二日右改訂にかかる契約に基く賃借権の設定登記を経由したことを、被告は一旦自白したのであるが、その後右自白のうち本件建物が訴外細貝馨の所有に属した事実および賃借権設定登記経由の事実に関する部分以外を、真実に反し、かつ、錯誤に基くものとして撤回する旨主張するに至つたのである。しかしながら被告の撤回しようとする自白が真実に反するものであることを認め得る証拠はなく、かえつて証人細貝まさの証言ならびにこれにより真正に成立したものと認められる甲第一号証および第三号証を総合するときは、細部における多少の差異、すなわち、当初の約定賃料は原告主張のごとく一ケ月金千五万円ではなく、一ケ月金二千円であつたことおよび契約の改訂に際して賃料の内金十五万円を前払したというのは現実に支払つたのではなく、訴外細貝馨が先に昭和二十九年十二月三十日原告から弁済期を昭和三十年一月末日と定めて借り受けた金十五万円の返還債務と相殺したものであつたことを除けば、被告の自白したとおりの事実が認められるので、右自白の撤回は許されないものである。
(二) 被告が訴外細貝馨に対する第一審および第二審抵当権のうち後者の実行のためにする本件建物の競売手続において、昭和三十一年六月中自ら本件建物を競落(その日時を、原告は同年同月二十一日、被告は同年同月二日と各主張するのであるが、そのいずれであるかによつて本訴の結論が左右されるものとは考えられないので、この点は論外とする。)してその所有権を取得し、同年十一月二十二日その旨の登記が経由されたことは、当事者間に争いがない。
(三) 前出(一)において判示したところからすると、原告は、訴外細貝馨との間に成立した昭和二十八年五月十日附の賃貸借契約に基いて、被告が本件建物に対して訴外細貝馨から第一番抵当権の設定を受けた時より以前に既に本件建物の引渡を受けていたことが明らかであるから、借家法第一条の規定により、原告が右賃貸借契約に基く本件建物についての賃借権をもつて本件建物に対して抵当権を、引き続き所有権を取得した被告に対抗し得る(賃料前払の特約について対抗力を認め得るかどうかは、後述するところに譲ることとし、ここでは一応論外とする。)ことは、疑いのないところである。
(四) 被告は、仮定的抗弁として、(イ)原告と訴外細貝馨との間に本件建物を目的とする賃貸借契約が締結されたことがあるとしても、その契約は両者の通謀による虚偽のものであつて無効である。(ロ)仮にそうでなく、被告が本件建物の所有権を取得したことにより右賃貸借契約を承継したものであるとしても、右契約は、その後原告の被告に対する賃料債務の履行遅滞を理由として被告により解除されたと主張する。
しかしなから(イ)の抗弁は、被告の主張するような事実を認め得る証拠がないので失当である。(ロ)の抗弁については、被告が昭和三十二年六月十四日書留内容証明郵便によつて原告に対して発した昭和三十一年六月三日から昭和三十二年六月十四日までの間における一ケ月金二千円の割合による本件建物の約定賃料を右書面到達の日から二日以内に支払うべく、もしその支払を怠つたときには本件建物の賃貸借契約は当然解除されるべき旨の催告および条件附解除の意思表示が発信の翌日原告に到達したことは、当事者間に争いがないのであるが、前出(一)において認定したとおり、原告は、これより先昭和三十年二月一日頃、当時本件建物の賃貸人であつた訴外細貝馨との約定に基く相殺によつて金十五万円の賃料を前払したのである。ところで第三者が賃借中の建物の所有権をその所有者である賃貸人から譲り受けた者が前所有者と当該建物の賃借人との間の賃貸借契約を承継した場合において、新所有者が承継すべき契約関係は、従前のものと全く同一であるべきである。しかしながら抵当権の設定された建物を目的とする賃貸借契約の承継の場合においては、必ずしも同日に論ずることはできない。抵当権設定後にその目的たる建物について締結された賃貸借契約は、民法第三百九十五条の規定によつて、同法第六百二条に定めた期間を越えない限り、抵当権者に対抗し得るのに反して、抵当権設定前に成立した賃貸借契約は、そのまま抵当権者に対抗することができるのである。すなわち抵当権は、その目的物の有する交換価値を把握する権利であるから、抵当権の設定は、その目的物について既に成立している用益権に対しては何らの影響を及ぼすものではないのである。けれども右のような用益権といえども、抵当権設定当時の状態においてのみ抵当権者に、従つて抵当権実行手続における競落人に対して対抗できるに止まるものと解すべきであり、少くとも抵当権設定後にその内容が抵当権者の不利益に変更されたような場合には、その変更にかかる部分については対抗力を認めるべきものではないといわなければならない。
本件において原告と訴外細貝馨との間に賃料前払の特約が締結され、これに基いて前払がなされたのは、被告が訴外細貝馨から本件建物に順位第一番および第二番の抵当権の設定を受けた後のことであるから、本件建物の抵当権者である被告に対して不利益に変更されたことの明らかである右のような賃料前払の特約およびその履行は、これをもつて被告に対抗することができないことは、上述したところよりして論のないところである。右賃料前払の特約が原告のために経由された賃借権設定登記中に記載されたことは、前叙のとおり当事者間に争いのなところであるけれども、そのことによつて右特約が被告に対する対抗力を生ずるに由ないことは、いうまでもなく、もとより原告は、右設定登記にかかる賃貸借契約をもつて被告に対抗することはできない筋合である。原告が上述した被告からの賃料支払の催告に応じなかつたことは、原告の争わないところであるから、被告によつて承継された原告を賃借人とする本件建物の賃貸借契約は、原告の賃料債務不履行によつて、前記催告期間の末日である昭和三十二年六月十七日の経過とともに解除されるに至つたものといわなければならない。なお、競落による不動産所有権取得の登記の効力は、所有権移転の時に遡るのであるから、任意競売の場合にあつては、競落代金が完納されて競落人に競落不動産の所有権が移転した時より、競落人は、当該不動産の賃借人に対して賃貸人の地位の承継を主張し得べく、従つて賃借人に対してはその時から以後の賃料を請求し得るものというべきところ、本件において被告が本件建物を競落した日時については当事者間に争いがあり、被告としては、昭和三十一年六月二日に本件建物を競落してその所有権を取得したものと主張するのであるが、その点については何らの立証もないので、被告は、その主張するごとく原告に対して昭和三十一年六月三日以降についての本件建物の賃料を請求し得るものとはいい難いのであつて、結局原告において被告が本件建物を競落したと主張する同年同月二十一日から、被告は原告に対して賃料請求権を取得したものというほかないのである。してみると被告が原告に対して催告した賃料のうちには被告において請求権を有しない期間中のものを包含していることになるのであるけれども、その金額は極めて僅少であり、原告がこれを除いた賃料の催告に応じなかつた以上、これを理由に前記のとおり賃貸借契約が解除されたものと解するには、いささかの支障もない次第である。
四、さすれば原告が引き続き本件建物につき被告に対して賃借権を有することを原因として、被告が前記不動産引渡命令を債務名義として訴外細貝馨に対してした執行の排除を求める本訴請求は理由がないものというべく、よつてこれを棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を、強制執行停止決定の取消およびその仮執行の宣言につき同法第五百四十九条第四項、第五百四十七条および第五百四十八条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 桑原正憲)